代表の経歴
キャリア相談や家計相談の基本「まずは自己開示から」との観点から、代表の経歴を記載しています。(1~9)
1.幼少期~中学
実家は長崎市。両親譲りの大きな体(今では185センチまで成長)で剣道をしていました。
楽しく過ごしていましたが、母の井戸端会議を待つのを嫌がって怒られた古い記憶もありコミュニケーションの苦手さの片りんがありました。
ゲームが好きで、将来の夢はゲームセンターの店長。
2.高校
体格を見込まれ地元のバスケ強豪高校に進学しましたが、技術が伴わず挫折。その代わりに大学受験に没頭し見事合格することができました。その時の成功体験がありのちに資格をいくつか取ることになったのだと思います。
お金への憧れから将来の夢は経営者。
3.大学(一橋大学商学部)
上京して寮暮らし。部活動、バイト(病院事務)、若干の勉学(経営学)などと、成績は良くありませんでしたが学生生活を謳歌していました。
在学中はエリート会社員になるものと思っていましたが、欲をかいて就活は一度失敗しあえなく留年していました。今思えば、キャリアの第一歩目の時から世渡り下手が見え隠れしていました。

4.新卒(埼玉りそな銀行)
専門知識を身に着けて人の役に立ちたいとの思いから、りそな銀行グループに入社しました。埼玉県北部の支店に配属され、ローンの仕事等をしていました。業務は住宅ローンや地主向けのアパートローン、保険などです。
そこでは、憧れる上司の人(イメージはトイストーリーのウッディ)がおり、営業成績の伸び悩みから私が自分本位の営業をしてしまったときには「つまらないことをするなよ」と私と向き合って叱ってくれたことを覚えています。

5.自営業(FP、社労士)
結局銀行は上司も変わって、その窮屈さに嫌気がさし、経営者になるという夢を若いうちに追いたい気持ちから退職しました。そして当初はFPとしてライフプラン設計を行う自営業を手探りで始めました。
その後、社労士試験や行政書士試験に合格し、専門スキルを徐々に身に着けていきました。
また、この時期に障がい者就労支援施設の事業者の方たちと出会い、福祉分野の方たちとの相性の良さの発見がありました。

6.再就職(丸紅子会社の保険代理店)
自営業は道半ばだったのですが、結婚のために福岡に転居し再就職することになりました。法人向け損害保険の営業職だったのですが、自身の社内営業の下手さを忘れていました。
連日の麻雀や飲み会、残業で大変疲れることとなりました。しかし、わかりにくい損害保険の実務や、支店長や先輩が背中で見せてくれた法人営業に必要な気の利かせ方はこの会社だからこそ学べるものでした。

7.転職(上場企業の人事部)
福岡にある東証上場企業の人事部に転職。人事労務分野についてグループ会社分も含めて担当しました。
理念、規程、評価、懲戒、システム導入、労組、労務DD、M&A、IPOなど人事労務のあらゆる内容を経験することができました。
教科書通りにはいかない社内政治の必要性についても否応なく教わることとなり、良くも悪くも最も思い入れのある会社になりました。

8.家庭の問題とキャリアコンサルタント
ままならない人生です。家庭に問題が起こりました。心底傷ついて仕事も上手くいかなくなりました。ボロボロのメンタルのなか縁あってキャリアコンサルタント養成講座を受講しました。
当初は社労士の下位資格くらいに軽く見ていましたが大きな間違いでした。受講すると「これが私に足りなかったものだし、やりたかったものだ!」と大きな発見がありました。
それは、人の気持ちの大切さです。当たり前のことであるのに、生来のコミュ力不足に加えて、法律や理屈一辺倒の訓練を続けた私には、人の気持ちにも自分の気持ちにも鈍感になってたようでした。それが家庭での問題や職場での問題の一因になっていたことに気が付かされました。
9.再び自営業(雇用とキャリアの専門家)
自分に足りなかったものの再発見を経て再び自営業を開始しました。
社労士、FP、行政書士、労組、キャリア相談と肩書が随分増えてしまいましたが、これらは「人」を軸に相互に関連しています。それらをまとめて「雇用とキャリアの専門家」と捉えています。
人に関する業務分野について理屈と気持ちの両方を大切に、法人と個人のお役に立つよう全力を尽くしています。
